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年を重ねるにつれて、時が過ぎるのを速く感じる。
昔から、充実していると時間の経つのが速いものですが、だからといって、年をとっている人が全員充実している かといえば、そうでもない。
3月も今日で終わり。時の経つ速さが尋常ではない。信じられない。とてつもない。とんでもない・・・。
・・・こう書くと、日本語は「~ない」という否定形での表現が多いのかな。(新たな発見!)
ともかく、あまりの速さにただただ驚くばかり。
この世で唯一絶対なのが、時間。 これだけは、誰にもコントロールすることができない。
そのため、仕事においても、時間にすべてを当てはめていかないといけない。
仕事に時間を当てはめてい ては、いつまで経っても生産性は上がらない。
そもそも時間というのは何なのだろうか?
時間には三つの区別があるとされる。現在、過去、未来。
でも、私は「現在」という概念が、いまいちよくわからない。現在って何なのか。
時間は、一瞬たりと も止まることはない。止まるのならば「現在」の意味はわかるが、止まらない以上、時間には過去と未来の二種類しかないのではないか?
で、未来とは何だろう か。それは、それまで自分が生きているという“仮説”に基づいた、自分が手に入れることのできるであろう、あるいは手に入れたいと思う時間だ。未来は瞬時 に過去へと流れていく。
その狭間が現在ということだが、ではそれはいつなのかと聞かれると、わからない。
「現在とは、今のことだ」
と言った瞬間に、それは 過去になる。つまり、「現在」という言葉は、コミュニケーションの便宜上、表現されるに過ぎないのではないかと思う。たとえば「このデータは、何月何日現 在のものです」などというとき(ちょっと違うかな)。
少々哲学的な話だが、私はこの「現在」という曖昧な定義が、時間感覚を狂わしているような気がしてならない。時間を無意味に浪費してしまうのは、この「現 在」という言葉が原因ではないか?
定義のわからない「現在」というものがあるような気がして、それは何となく取り返しのつくものだと思ってしまう。しか し、現実には過去と未来しかなく、過去だけは、絶対に取り返しがつかない。
このブログを読んでいただいたことは、取り返しのつかない過去です。その時間 は、誰がどうあがいても取り戻せない。
「こんなくだらんこと読ませやがって。フライデーの袋とじの方がマシだ。時間を返せ!」
と言われても、誰にも出来な い。最近よく聞く「アンチ・エイジング」というのは、神の領域に踏み込もうとしている人間の傲慢さなのかもしれない(それもちょっと違うか)。
ともあれ、 変えられないのは他人と過去。変えられるのは自分と未来。他人、自分、過去、未来。このなかに「現在」という言葉は、どこにも出てこない。現在とは、果た してどう定義すればいいのか。
「過去から未来へ変わっていく瞬間」ということか。
とすれば、瞬時に取り返しのつかない過去に流れていくことを前提に、目標 に向かって未来の時間を使っていく。その作業そのものが「現在」なのだ。
そう考えると、スケジューリングというのは、自分の命の使い方を計画する、極めて 大事なものだとわかる。
ただ、そういう私は時間の大切さを『本当に』理解しているのかというと、正直少々疑問だ。
自分の大切な人が目の前で亡くなってしま うと、人間はいつ死ぬかわからないと実感できるが、本当に身をもって理解できるのは、自分の死期が近付いてきた時だけかもしれない。
頭ではわかっているが、本当にはわかっていない。毎日毎日、数え切れない無駄と惰性を積み重ね、反省を繰り返す。しか し、一見、無駄に思えることも、実は無駄じゃないことだったりする。
宇宙の法則からは、誰も逃れられない。宇宙とは、かくも偉大なものであり、人間とは、 かくも愛すべき存在である。
哲学的になってきたので、この辺でやめておきま す。
とにかく大事なのは、毎日の反省の中で、明日は少しだけ成長すること!
なぜなら、それこそが人間と他の動物を隔てる唯一のものだからです。
その毎日の成長は、一歩でも半歩でもいいと思う。成長の速度は個性だから。
寝る前の、「今日、オレ成長したかな?」この反省が明日の自分につながります。
昔から、充実していると時間の経つのが速いものですが、だからといって、年をとっている人が全員充実している かといえば、そうでもない。
3月も今日で終わり。時の経つ速さが尋常ではない。信じられない。とてつもない。とんでもない・・・。
・・・こう書くと、日本語は「~ない」という否定形での表現が多いのかな。(新たな発見!)
ともかく、あまりの速さにただただ驚くばかり。
この世で唯一絶対なのが、時間。 これだけは、誰にもコントロールすることができない。
そのため、仕事においても、時間にすべてを当てはめていかないといけない。
仕事に時間を当てはめてい ては、いつまで経っても生産性は上がらない。
そもそも時間というのは何なのだろうか?
時間には三つの区別があるとされる。現在、過去、未来。
でも、私は「現在」という概念が、いまいちよくわからない。現在って何なのか。
時間は、一瞬たりと も止まることはない。止まるのならば「現在」の意味はわかるが、止まらない以上、時間には過去と未来の二種類しかないのではないか?
で、未来とは何だろう か。それは、それまで自分が生きているという“仮説”に基づいた、自分が手に入れることのできるであろう、あるいは手に入れたいと思う時間だ。未来は瞬時 に過去へと流れていく。
その狭間が現在ということだが、ではそれはいつなのかと聞かれると、わからない。
「現在とは、今のことだ」
と言った瞬間に、それは 過去になる。つまり、「現在」という言葉は、コミュニケーションの便宜上、表現されるに過ぎないのではないかと思う。たとえば「このデータは、何月何日現 在のものです」などというとき(ちょっと違うかな)。
少々哲学的な話だが、私はこの「現在」という曖昧な定義が、時間感覚を狂わしているような気がしてならない。時間を無意味に浪費してしまうのは、この「現 在」という言葉が原因ではないか?
定義のわからない「現在」というものがあるような気がして、それは何となく取り返しのつくものだと思ってしまう。しか し、現実には過去と未来しかなく、過去だけは、絶対に取り返しがつかない。
このブログを読んでいただいたことは、取り返しのつかない過去です。その時間 は、誰がどうあがいても取り戻せない。
「こんなくだらんこと読ませやがって。フライデーの袋とじの方がマシだ。時間を返せ!」
と言われても、誰にも出来な い。最近よく聞く「アンチ・エイジング」というのは、神の領域に踏み込もうとしている人間の傲慢さなのかもしれない(それもちょっと違うか)。
ともあれ、 変えられないのは他人と過去。変えられるのは自分と未来。他人、自分、過去、未来。このなかに「現在」という言葉は、どこにも出てこない。現在とは、果た してどう定義すればいいのか。
「過去から未来へ変わっていく瞬間」ということか。
とすれば、瞬時に取り返しのつかない過去に流れていくことを前提に、目標 に向かって未来の時間を使っていく。その作業そのものが「現在」なのだ。
そう考えると、スケジューリングというのは、自分の命の使い方を計画する、極めて 大事なものだとわかる。
ただ、そういう私は時間の大切さを『本当に』理解しているのかというと、正直少々疑問だ。
自分の大切な人が目の前で亡くなってしま うと、人間はいつ死ぬかわからないと実感できるが、本当に身をもって理解できるのは、自分の死期が近付いてきた時だけかもしれない。
頭ではわかっているが、本当にはわかっていない。毎日毎日、数え切れない無駄と惰性を積み重ね、反省を繰り返す。しか し、一見、無駄に思えることも、実は無駄じゃないことだったりする。
宇宙の法則からは、誰も逃れられない。宇宙とは、かくも偉大なものであり、人間とは、 かくも愛すべき存在である。
哲学的になってきたので、この辺でやめておきま す。
とにかく大事なのは、毎日の反省の中で、明日は少しだけ成長すること!
なぜなら、それこそが人間と他の動物を隔てる唯一のものだからです。
その毎日の成長は、一歩でも半歩でもいいと思う。成長の速度は個性だから。
寝る前の、「今日、オレ成長したかな?」この反省が明日の自分につながります。
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[05/15 backlink service]
[03/28 dyncFeettanty]
[02/09 nakedcelebritiesu]
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[11/08 briceljq]
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